ようやく崩れ始めた「慰安婦強制連行説」の虚構

あくまでも性労働者だった慰安婦の現実。日本人よ、声を上げよ2021.3.5(金)李 宇衍

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64355

ラムザイヤー論文批判の中身

李宇衍:『反日種族主義』共同執筆者)

 ハーバード大学のラムザイヤー教授は自身の論文にて、慰安婦と慰安所は契約の関係であったと主張した。これに異を唱える韓国や米国の研究者の一部は、いまだに批判を続けている。批判の中核は、契約の関係を立証する契約書、つまり契約内容の書かれた「紙」を提示できないということだ。ここには、合意内容を必ず文書に残す欧米の契約文化と、口頭契約の依存度が高かった韓国の契約文化との違いを理解していないという背景がある。

「契約書がない」という批判は、「契約自体なかった」という「確信」がベースにある。「契約がないのだから契約書も当然ない」という論理だ。批判者たちに共通しているのは、女性たちは契約ではなく日本の軍人や警察、官吏などに強制連行されて慰安婦になったという認識である。「強制連行だったのになぜ契約書や契約の話が出てくるのか」と責めているのだ。

批判者たちは「確信」する根拠が山ほどあるという。「被害者」である元慰安婦たちの「証言」、「加害者」である吉田清治氏の「告白」、1992年に吉見義明氏が発見したという「強制連行」を指示した日本軍の文書、1993年に日本政府が発表した「謝罪」の織り込まれた河野談話、1996年に国連人権委員会で公表されたクマラスワミ報告書のように、アムネスティ・インタナショナルや国際法律家委員会(ICJ)などのNGO(非政府組織)が発表した各種調査結果である。だが、その「確信」のベースになった「証拠」の中で、いまも健在なのは元慰安婦の「証言」のみだ。それ以外はすべて虚構か、あるいはこの「証言」を根拠にしたものである。

国際機関の報告書はどれも元慰安婦と吉田清治氏の証言、日本軍の文書、河野談話に拠っていた。河野談話は、「被害者と加害者の証言があり、これを客観的に立証する日本軍の文書がある」と多くの人が確信する状況において、追い込まれた日本政府が作成したものだ。しかしその後、その日本軍の文書は「強制連行」と無関係であることが立証され、他の文書は発見されていない。また、吉田清治氏の「告白」は創作だったことが明らかになる。日本で吉田氏を集中的に取り上げて報道した朝日新聞は、その名声もむなしく、それらの報道を取り消すに至った。一見すると証拠が山のように積まれているが、実際は元慰安婦の証言だけしか残っていない。

 では、元慰安婦たちの言う「強制連行だった」は信じられるのか。

政治的に「汚染」された被害者の証言

彼女たちがカミングアウトした1990年代初めの証言は「強制連行」と無関係だった。朝鮮人による就職詐欺や親に売られて慰安婦になったと証言しているのだ。ところが、慰安婦問題が韓国の社会的・政治的問題になり、韓日間の外交問題に発展すると言葉を変え、「強制連行」と言い出した。「証言」が政治的に汚染されたわけだ。その一例を挙げてみよう。

 現在、国の元老のような待遇を受け、自身を独立運動家でもあるかのように振る舞っている元慰安婦の李容洙氏は、1992年8月15日、KBS(韓国放送公社)の番組に出演した。司会者がどのようにして慰安婦になったかを質問すると、彼女は次のように答えた。

「私はその時16歳で、着られる服もろくにないほど貧しかったのですが、ある人がワンピース1着と靴1足を持ってきてくれました。それをもらった私はうれしくて、何も知らずに付いていきました」

朝鮮人が犯した典型的な誘拐事件を指している。ところが、そんな李容洙氏が2007年2月16日、米国下院議会の公聴会に証人として出席した時の証言は変わっていた。彼女は次のように「証言」し、米下院が日本を非難する決議案を採択するのに大きく貢献したのである。

「軍人がその女性と一緒に入ってきて、片手で私の肩を抱き、もう片方の手で口をふさぎ、後ろから背中を何かでつつきながら、私を連れ去りました。(私は)歴史の生き証人です」

 元慰安婦の「証言」の一番の問題は、このように一貫性がないということだ。

 さらに重要な問題は、証言を立証する客観的証拠が何一つないことである。日本の官憲による「強制連行」を示す公的文書は見つかっておらず、民間人を含めてそうした事件を目撃した第三者が残した記録もないし、そのような証言も出てこない。強制連行論者らは「20万人」が無理やり連行されたと主張しているが、この30年間、それを立証する証拠を一つも提示していない。よって、彼女たちの「証言」は信じるに値しないと言わざるを得ない。

慰安婦になるために必要だった幾重もの本人確認

ラムザイヤー教授批判の先頭に立ち、韓国で有名になった米コネチカット大学歴史学科のアレクシス・ダデン(Alexis Bray Dudden)教授は、「主張を裏付ける書類がないのなら、そして証拠がないなら、その主張は真実ではありません」とテレビで述べた。そして、「無惨で」「典型的な」「詐欺」という単語を使った。元慰安婦たちの「証言」はダデン教授の基準をクリアできたのだろうか。

 日本の官憲による「強制連行」でなかったとしたら、女性たちはどんなきっかけや経路で日本軍慰安婦になったのだろうか。朝鮮人斡旋業者が「いい仕事を紹介してやる」と言い(就職詐欺)、慰安婦として働くことを知らせずに女性を連れていったり、親をだまして売らせたりしたケースがあった。この場合、慰安婦の雇用契約は不要となり、前借金が支払われないか、最初から慰安婦として連れていく場合よりも小額が払われた。朝鮮において就職詐欺を含む誘拐は、戦前から警察の取り締まり対象になっていた。当時、朝鮮では数千人もの職業斡旋業者が横行していたのだ。

 朝鮮から慰安所に女性を連れていくには、さまざまな公的書類が必要だった。中国や東南アジアなどへ行く旅行者は全員、旅行の目的などを記入した書類を提出し、警察署長の発給する「身元証明書」を取らなければならなかった。慰安婦の場合の手続きはさらに厳しかった。

女性と慰安所業者が共に作成する申請書といえる「臨時酌婦営業許可願」、写真2枚、世帯主と女性本人が捺印した就業承諾書、世帯主と女性本人の印鑑証明書、女性の戸籍謄本(就業承諾書、印鑑証明書、戸籍謄本は本人でなければ作成・発給してもらえない)が必要であり、日本領事館の職員も慰安所就業の意思があるかどうか、女性に対して調査を行った。女性を就職詐欺で連れてきたり拉致してきたりしたのなら、このような書類は用意できなかったはずだ(『反日種族主義』の著者、李栄薫教授が主催する「李承晩学堂」のユーチューブで朱益鐘氏が上記を主張している)。

 本人の意思で慰安所に来ていない場合は、女性が着いてからも問題になった。慰安所の利用と管理を担当する部隊は、慰安婦本人がどんな仕事をするのか知っていて来たのかを確認した。前述のような書類を軍部隊で確認する手続きがあったため、だまされて連れてこられた女性を故郷に送り返したケースもある。

 以上から見ると、誘拐による慰安婦調達よりも、何をするのか知りながら親が娘を売る人身売買のケースのほうがはるかに多かったといえる。当時の新聞を見ると、親が娘を売ることなどざらにあり、社会問題の一つになるほどだった。1920年代半ば、日本でも同様の状況が起こった。日本の二・二六事件(1926年)でも、娘を売らなければならないほど貧しかったことが、事件を触発する重要なきっかけの一つとなっている。

「売春婦は志願者か親に売られた人」という証言

前回の寄稿(「慰安婦は性奴隷ではないと理詰めで語る米論文の中身」)で述べたように、このような取り引きは人身売買という違法と、戸籍制度下における正当な権利行使と職業斡旋という合法との境界線にあった。「人肉市場」と呼ばれる人身売買が横行し、社会的問題になる一方で、その容疑で捕まった人たちの大半が無罪に処された。

 以上のような状況から考えると、募集業者と取り引きする親は、娘がどこへ行って何をするかを知っていたと見るべきである。文書に基づく明示的な契約がなかったとしても、両親がそのような事実に気付いていたなら、これは我々が一般的に言う契約に間違いない。韓国と米国の批判者たちは、このような当時の実情を全く知らない。

「慰安婦と業者の間で契約が行われた代表的なケースは、朝鮮内外で戦前からすでに売春婦として働いていた女性だったと考えられる」と前回の寄稿文でも書いた。当時の状況を描写した朝鮮人の証言がある。1945年初め、米軍に捕らえられた朝鮮人捕虜3人に対する尋問調書だ(Composite Report on Three Korean Navy [Imperial Japanese Navy] Civilians List No. 78, dated 25 March 1945, Re Special Questions on Koreans)。

質問は「日本軍のために売春婦(prostitute)として働く朝鮮人女性を募集していることを、朝鮮人は知っているのか。これに対して普通の朝鮮人はどのような態度を取るのか。君たちはそれによって引き起こされた騒乱や摩擦について知っているか」であった。答えは次の通りだ。

「私たちが見てきた売春婦はすべて、志願者(volunteers)か、親に売られた人たちだ。これは朝鮮的な考え方だが、日本人が女性を直接徴発(direct conscription)したら、年寄りも若者も憤怒して立ち上がっただろう。男たちは怒り、我が身がどうなろうとも日本人たちを殺したはずだ」

 この答弁は「強制連行」はなかったしあり得ない、という事実とともに、慰安婦になる一般的な経路は親の人身売買や売春婦の転職、一般人の就職だったことを物語っている。慰安婦になる過程に関してこれほど総合的な証言を私は寡聞にして知らない。

あくまでも「セックスワーカー」だった慰安婦

慰安婦の募集方法において、親による人身売買や売春婦の転職が中心なら、やはり慰安婦自身あるいは親が業者と経済契約を結んだと考えるべきである。慰安婦は性奴隷ではなく、性労働者(sex worker)だったのだ。彼女たちが性労働を行うために斡旋業者や事業主と契約を結ぶのは、我々が結ぶ労働者と経営者の間の労働契約と同じである。

 行為者がいて、その者が一定のパターンに基づいて行動したならば、それは契約当事者が契約に基づいて行動したものであり、契約が存在したことを意味する。これを否定するには、前借金の収受、契約期間の存在、慰安婦と慰安所の間の売上げ分割などのように、ラムザイヤー教授が契約の実体として主張するものが存在しなかったことを証明しなければならない。

 しかし、部分的にすら、ラムザイヤー教授の論文に対する批判は証明できていない。これを機に、韓国をはじめとする世界の学界で慰安婦問題を本格的に討論できるのではないかと、私は確信している。(翻訳:金光英実)

朝鮮人業者と契約し慰安所を転々とした慰安婦の証言

「契約書がない」というラムザイヤー論文に対する批判への反証

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64369?page=4

「性奴隷説を否定した米論文にぐうの音も出ない韓国」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64066)
「慰安婦は性奴隷ではないと理詰めで語る米論文の中身」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64113)
・「ようやく崩れ始めた『慰安婦強制連行説』の虚構」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64355)

(李宇衍:『反日種族主義』共同執筆者)

ラムザイヤー教授に対する批判は、契約や契約書がないことに集中している。法律の教科書を見ると、「契約」の本質は「意思表示の合致」である。「契約書」はその「証拠」にすぎない。にもかかわらず、「契約書」の存否にのみこだわる人が多いので、契約と契約書の存在を立証する事例を示そう。

 ここで取り上げるのは、「中国に連れていかれた朝鮮人軍慰安婦2」(韓国挺身隊研究会著、ハンオル、2003)に出てくるヒョン・ビョンスクの証言である。娘が親に売られて売春婦や慰安婦になるケースが非常に多かったことは、すでに何度も述べている。ここではそのような状況において、契約が結ばれて契約書が作られていたことを証明するため、この本に書かれている証言の中から重要だと思われる部分を抜粋する。

ペ・ジュンチョル(質問者):その店からいくらもらって行ったんですか?

──500ウォンだよ。期限は2年でね。その500ウォンは父と母にあげたの。2年経って家に帰ってきたんだけど、家でぼうっとしててもしょうがないし、またほかの所へ行ってお金を稼いで、父と母にあげようと思って。村にはいないつもりだった。

 証言者のヒョン・ビョンスクには、酒場で働いていた経歴があった。売春を兼ねていたと思われる。2年の務めを終えて家に帰ってくると兄から結婚するように言われ、ならばいっそのこと、またお金を稼ぎに行こうと考えたのだ。そこで人を探すことにする。

──だから朴哥(パク・カ)って人に会いに、博川(パクチョン、平安北道)へ行ったの。ある旅館に行って、「女性を買いに来たって聞いたけど、この辺のどこにいますか」って聞いたら、「あそこの旅館だよ。中国から女性を買いに来たってさ。行ってごらん」。それで行ってみたら・・・、男が一人座ってた。「女性を買いに来たんですか」と聞くと「若いお嬢さんがどうしたのかね」と聞くから「私も中国へお金を稼ぎに行きたいです」と言ったの。

ペ・ジュンチョル:おばあさんはその時、中国に行って何をするのか知ってましたか。

──知ってたよ。

ペ・ジュンチョル:日本の軍人を大勢相手にすることも知ってましたか。

──もちろん。

 彼女はその人が何のために女性を買いに来たのか、よく知っていた。続いて、彼女は契約条件の交渉に乗り出す。

親がその場にいなければ支払われなかった前借金

ペ・ジュンチョル:そういう話をどこで聞いたんですか。

──うわさで聞いたよ。いろんな話を聞いてね。あちこち歩き回ってから見つけたの。それで、私を買うかって聞いたら買うって。いくら欲しいかって聞かれて「うちの父と母が困るから、3年を期限にいくらくれる?」って聞いたら「2000ウォンあげよう」と言われた。だから、「2000ウォンじゃあ、1年で1000ウォンにもならないよ。1年に1000ウォン欲しい」と言ったら「いいだろう。3000ウォンにするから、家に帰って親の同意を得てきなさい」ってなって。

 前回の寄稿で述べたように、慰安婦として就職するためには戸主、つまり父親の承認が必要だった。ヒョン・ビョンスクの父親も最初は反対するが、娘に強くせがまれて、結局は承諾する。無論、父親も娘がどんな仕事をするのか承知していた。

ペ・ジュンチョル:「ハンコはもらえましたか」

──もちろんだよ。父か母を連れていったらお金をもらえたの。それに、祖父や祖母のハンコももらえって。当時は厳しかったんです。

ペ・ジュンチョル:「それは何歳でしたか」

──16歳になってたと思うよ。酒場にも2年くらいいたからね。祖父と祖母のハンコまでもらえなんて。ハンコを押してくれるか心配で。父なら私の話を信じてくれる。だから父の手を引っ張って川辺に連れてって話したの。「お父さん、女性を買いに来た人がいるんだけど、いくらいくらくれると言うから、遠い所へお金を稼ぎに行きたい」。父にいい暮らしをさせてあげたかったし、好きなものを食べさせてあげたくて。「お父さん、私を働かせて」。

 この場合、前借金はその場に親がいなければ支払われなかった。そして、両親と祖父母の同意と捺印が必要だった。父親だけでなく、母親と祖父母の同意と捺印まで必要な理由は分からないが、連帯保証人だったものと思われる。これが契約でなくて何であろうか。契約条件の一つとして、娘をほかの所に売り渡すなという要求を付ける。

──「それなら行かせてやろう」と父が言って、父と母の名前を書いてからハンコを押してくれた。「おじいさんとおばあさんのハンコも欲しいって。どうしよう、お父さん」と言うと「じゃあ父さんが書いてやる」。父が書いてから祖父と祖母のハンコを押して、それからみんなの同意をもらった。それを持って博川へ行ったの。父は「あなたに売るのだから娘をほかの所に売り渡さないように」。そんな約束をした。私が「父はこう要求してますけど」って言ったら、「それはあなたの好きにしていい」と言われて「分かりました。行きましょう」ってなったの。

慰安所を転々としたヒョン・ビョンスク氏

父親が自分で名前を書いて捺印した。恐らく契約書だったはずだ。このようにして彼女は再び売春婦として働くことになる。だが、最初に行った場所では客をあまり取れなかったという。彼女は自分の外見のせいだったと述べている。そのため、中国の奉天(瀋陽の旧名)に移ることを決心する。

──しかたないでしょ。そこではお客さんを一人も取れないんだから。私はブスだからね。お客さんはきれいな女性を選んでいくのよ。ブスなんて誰が選ぶと思う。そこには女性がたくさんいたね。20~30人くらいいたかな。全員朝鮮人女性だったよ。私を買って連れてきた人の息子に「私、ここにいたら借金を全部返せないから、ほかの所に行かせて」と言ったら、「お前のお父さんと、ほかの所には行かせないっていう契約を書いたから・・・」と言われた。「本人が承諾してるから大丈夫です」と言ったら「じゃあ奉天の紹介所に行って、誰かが買ってくれたら、こちらはそのお金をもらおう」と言うの。「利子はどうしますか」と聞いたら「利子はいい。頑張って働いて家に帰れ」と。

ほかの人には売り渡さないという「契約書を書いた」という。転売しないと契約書に書いたのだ。契約書があったのは間違いない。売春婦になってからの転売の過程もここから分かる。前借金に対する債権は、そのまま新しい買い手に移される。そのお金については、利子を受け取る場合もあれば、免除してくれる場合もあったようだ。彼女が移転した奉天の売春宿または慰安所は、民間人と日本軍が共同で利用する所だった。

ペ・ジュンチョル:おばあさん、ところでその店には主にどんな客が来るんですか

──軍人も来るし、個人も来るし、いろんな人が来るよ。

 彼女は残念なことに、奉天でもお金を稼ぐことができなかった。そこで今度は軍隊に付いていくことを決め、安徽(あんき)省の蚌埠(ほうふ)に移る。そこの慰安所のオーナーも朝鮮人だった。

──ここにはいられないって私は言ったの。軍隊が行く村に行ってお金を稼がなくちゃいけないと。だから奉天からほかの所へ行くって志願して、蚌埠へ行ったのさ。

ペ・ジュンチョル:おばあさんの前借金3000ウォンは、蚌埠のオーナーにそのまま渡ったんですね。

──はい。

ペ・ジュンチョル:蚌埠のオーナーも朝鮮人ですか。

──はい。みんな朝鮮人です。

転売条件もあった慰安婦

彼女は中国のある場所から奉天、蚌埠へと移っていった。最初の店は一般の売春宿と思われるが、詳しくは分からない。奉天の店は軍人と一般人が共同で利用する場所、蚌埠は日本軍専用の慰安所と思われる。最初の店が一般の売春宿だったなら、彼女の経路を見るかぎり、一般の売春婦が日本軍慰安婦になる過程は非常に単純で容易だったことを意味する。新しい慰安所業者に「売り渡す」ことで十分だったのだ。売春宿のオーナー間で売春婦の転売が簡単にできたように、売春宿の主人が彼女を軍慰安所に転売するのはさほど難しくはなかっただろう。

ここで提示した事例を見ると、慰安婦になるために契約書を作成したことは間違いない。もちろん契約書なしの口頭契約で処理するケースもあったはずだ。この事例で明らかなのは、「契約」と「契約書」があったことである。朝鮮で契約を結ぶ時、すでに中国へ行って日本軍人を相手にすることを明確に知っていたからだ。

 また、前借金の額は交渉を通じて決められ、契約期間が明らかであり、転売に関する条件もあった。戸主などの同意や捺印も必要だった。慰安婦とその親は日本の軍人を相手にどんな仕事をするのかも、転売が行われる場合に前借金が新しい業者に移るということも知っていた。契約だったことを立証するために、これ以上、何が必要だろうか。(翻訳:金光英実)

盗んだ化粧品などをベトナムへ輸出か 韓国籍の男を窃盗の疑いで逮捕 愛知

3/10(水) 11:47配信

ベトナム人グループと共謀し、愛知県内のドラッグストアで化粧品などを万引きしたとして、韓国籍の男が逮捕されました。男は万引きした商品を海外へ輸出していたとみられます。 (リポート) 「午前10時20分です。捜査員が家宅捜索に入りました」  逮捕されたのは、神奈川県に住む韓国籍で貿易会社の代表イ・ジェジュン容疑者(39)です。  警察によりますと、イ容疑者は去年10月、すでに逮捕・起訴されているベトナム人の男ら4人と共謀し、愛知県瀬戸市のドラッグストアで化粧品など88点を盗んだ疑いが持たれています。  警察はイ容疑者の認否を明らかにしていません。すでに逮捕されたベトナム人の男らのうち、1人は「10府県で100件以上やった」と供述していて、その後の捜査で万引きした商品がイ容疑者の貿易会社が管理する倉庫へ郵送されていたことが分かっています。  警察は、イ容疑者の会社がベトナム人グループが万引きした商品を受け取り、海外へ輸出するための拠点になっていたとみて、事件の全容解明を進めています。

東海テレビ

https://news.yahoo.co.jp/articles/6ebc137f30175c66aebc09ef3f3150b7314ad007

旭日旗を使う韓国企業

旭日旗を使うな!と叫ぶ韓国。なのに今回、「北アフリカ、モロッコで日本軍国主義の象徴である「旭日旗」を連想させる模様の現代自動車看板。 韓国大使館の関係者は「地元企業に看板の是正を要求した」とし「現地企業は、近いうち看板を撤去するという立場を明らかにした」と述べた。」by @ToranomonTribe

現代車モロッコの看板に旭日旗を使用

https://news.v.daum.net/v/20200622230019398

魚拓URL 現代者モロッコの看板に旭日旗を使用https://web.archive.org/web/20200623042604/https://news.v.daum.net/v/20200622230019398